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◎ポーランド・フォーラム2022・レポート


●「ポーランド・フォーラム2022」レポート
ー禁無断転載ー

6月22日ポーランド・フォーラム
ポーランド・フォーラム・レポ―ト
6月22日「Amiaポーランド・フォーラム2022」開催。
駐日ポーランド大使館よりシュミット女性担当官が来場し
ポーランドの歴史と文化、日本との関係、ウクライナ避難民
についてその現状を語ってもらった。
日本ではピアノ作曲家ショパンが一番有名だがノーベル賞
受賞者のキューリー夫人や「連帯」指導者のワレサ議長や
地動説を唱えたコペルニクスも有名。
首都ワルシャワは戦災で廃墟になったが復興した。戦災に
あわず中世の佇まいのままのクラクフ、港町グダニスクが
世界でも知られている。
パワーポイントで説明が続いたが、冒頭に「ポーランドを第二の日本に」
という字句が気になったので聞いてみると
日露戦争に勝った日本にあこがれがあった、とのこと。
ロシア、ドイツに占領された歴史のあるポーランドならではの発想か?
今回は日本語のよく話せるゲストだったがポーランド文化センター女性所長
もよく日本語が話せるので、やはり日本びいきが多いのかも知れない。
ウクライナからの避難民は一時、400万人以上になったそうだが、
帰国できた人も多く、現在300万人を受け入れているそうだ。

(学生レポート)
1.(TY)
ポーランドについて
◎面積はヨーロッパで6番目に大きいが日本よりやや小さい
◎人口もヨーロッパで6番目に多い(3850万人)
◎ポーランドの由来:ポルスカ。英語でPole(平原)。国土の91%が低地で、農業が盛ん。
◎カトリック教徒が人口の96%を占める
◎ウクライナとの関係:400万人以上の避難民。ワルシャワでは人口が17%増加。
一般家庭での受け入れが殆どで、難民キャンプが一つもないことは特筆すべき。
◎ウクライナ避難民受け入れ態勢としては、一年有効なマイナンバーを避難民に交付し、
無料教育やポーランド語講習。ウクライナ語話者は、3ヶ月ほどポーランド語学習を経ると理解できるようになる。
1.歴史
◎ワルシャワ:10世紀にできた。ワルシャワ旧市街は第二次世界大戦で破壊され戦後復元し、北のパリと呼ばれる。
◎クラクフ:第二次世界大戦の影響は受けていない。中世のままの街並み。ポーランドで最も歴史のあるヤギェボ大学
は1364年に設立。
◎グダニスク:バルト海に面した町。ハンザ同盟の歴史。琥珀のアクセサリーが有名。近くには第二次世界大戦の勃発地
であるヴェステルプラッテがある。
◎ヴロツワフ: カラフルな街並みで、要塞や建物が観光されている。
2.自然
◎国土のほとんどが低地だが、西部にはタトラ山脈がある。
◎マズーリ湖水地域、砂漠で有名なスウォヴィンスキ国立公園、ビャウォヴィエジャ原生林、ウクライナ境界に生息する
ジュブルという巨体動物。
◎秋がベストシーズン。9月末から11月は「黄金の秋」と言われる。
3.食事
◎多民族からなるため種類は多い。主食はパンと昼食はジャガイモ。
◎食後には必ずデザートを食べる。りんごの生産が多く、シャルロトカ(リンゴのケーキ)が有名
◎ポーランドはウォッカが一番有名。ズブロッカなど。ポーランドとリトアニアにしかない蜂蜜酒もある。
4.文化
◎現代美術の展示やイベントが多い。
◎5年ごとの国際ピアノコンクールでは毎年80人の日本人が来る。
◎日本語学科は4つの大学にある。中央ヨーロッパで最も学習者多い。

2.(HM)
20年間もの間、日本と交流のあるシュミットさんがポーランドの歴史や文化、ウクライナとポーランドの状況を語った。
ポーランドの魅力はヨーロッパの中心に位置する国で昔はソ連の国の一つだったため、長い間ポーランドは
共産党主義のイメージがあった。しかし、1989年以降は民主主義が始まるとともに、退廃的な共産主義のイメージからは
一変し、カラフルで鮮やかな魅力のある国へと変わっていった。ポーランドはEUの中で6番目に人口が多く、面積も広い。
これからの経済成長も期待されている国だ。またソ連の支配から脱却後ウクライナとの交流も親密である。
1994年からポーランドはEUに加盟した。
ポーランドという国名には平原という意味がある。国の南には山脈があるが、他はほとんどが平原である。
そのために農業が盛んな国だ。
ポーランドの言語は西スラブ語である。そのためウクライナの言語ともとても近くウクライナ人にとってポーランドは
行きやすい。また行ってから言語に慣れやすいために仕事もしやすいのである。
ポーランドの首都ワルシャワの首都の歴史や400年にわたる。ポーランドと日本の関係は深く昔から良好的に保たれている。
ポーランドの96%はカトリック教徒だ。そのため、ポーランドから各国へ渡った宣教師も多くいたという。日本からポーランド
に初めて渡った日本人は福島安正。彼がポーランドを旅していたときの日記はまだ残っているという。
フェリクス・ヤシェンスキが日本の美術品を集めてポーランドに持ち帰った。その時の日本との交流はポーランドでの
日本語の研究が始まるきっかけとなった。ポーランド人のブロニスワフ・ビウスツキも日本に渡りアイヌの研究をした人物である。
彼のアイヌの研究はその後の民族研究に大きく貢献している。杉原千敏もまたポーランドと深い関わりを持った人物だ。
彼は第二次世界大戦中にポーランドのユダヤ人難民の6千人の命を救った人物である。また当時日本とポーランドは
ロシアが共通の敵であった。20世紀ごろポーランドでの日本への関心は高まっていった。ポーランドは日本に軍事同盟を
持ちかけたこともあった。日本とポーランドの歴史はさらに深く第一次世界大戦ごろも深い交流があった。
1994年当時の大統領のスピーチではポーランドを第二の日本にしたいと語られた。日本とポーランドは2019年の時点で
国交樹立100周年を迎えた。
ポーランドと日本の共通点は、国旗の色が同様で、面積もほぼ同じ。またポーランドと日本は憲法記念日も同じ日になる。
ポーランドは世界で2番目に憲法を早く作った国である。首都ワルシャワは第二次世界大戦で多くの被害を被ったが、
その後5年ほどで都市の回復がされた。その速さは世界的にも評価されている。
ポーランドは豊かな自然も魅力である。ポーランドとベラルーシにしかいない動物ヨーロッパ・バイソンも生息している。
ポーランドの食は多種多様である。なぜなら沢山の民族がいたためだ。またお酒はウオッカが有名だが、最近はビールを飲む人
も増えてきたという。
ポーランドにはコンサートホールも多く、沢山の人々が楽しんでいる。またポーランドには日本のような美しい四季もある。
ポーランドにはキューリ夫人も含めて7人のノーベル受賞者がいる。
ポーランドの国民性は日本人のようにもてなし好きで明るくオープンな人間性だ。またポーランドの人は日本語を勉強している人
も多く、親日家も多い。
ウクライナでの戦争をめぐる課題についても語られた。現在ポーランドへのウクライナ人の難民の数は400万人以上にも上る。
ポーランドではウクライナとロシアの戦争が始まってすぐに入国手続きを簡素化した。また難民センターも設置。
そして政府だけでなく個人個人のポーランド人もウクライナへの支援を多く行っている。
そしてウクライナ難民のための特別な制度が導入された。ウクライナ難民にもマイナンバーを配布した。
そのためポーランド人と同じような対応を受けられるようになった。さらに教育や医療も提供している。
400万人も難民がいるが、難民キャンプは1つもないそうだ。難民の受け入れは一般家庭がほとんどで多くのポーランド人
はウクライナに対して良心的な気持ちを持っている。そして今ポーランドが一番必要としているのは寄付金。
日本からも多く寄付されている。
以下、主な質疑応答。
・ウクライナから日本への難民の数は?→1300人
・ポーランドを第二の日本へとはどういう意味?→当時の大統領が日本を評価していたので、経済を発展させるという
思いが込められている。
・ロシアとの関係は前はどうだったのか?→以前から良好ではない。ロシアは何をするかわからず警戒していた。
しかし経済関係は密接していたので仲良くはしていたが今は最悪の状態。今後の動きに頭を悩ませている政治家は多い。
・ロシアから天然ガスは入らないが、エネルギーはどう賄う?→前からロシアへのエネルギー依存は対策していたので
年末にはロシアからの輸入がなくなっても困らない。またアメリカからの輸入などもしている。

3.(KN)
テーマ:ポーランドの歴史と文化、ウクライナ侵攻を受けて現在の状況
@歴史について
ポーランドは18世紀後半ロシア・プロシア(現在のドイツ)・オーストリアの3国に分割されたが、第一次世界大戦後独立を
回復する。独立した1918年の翌年1919年に日本との国交を樹立し、国交は100年以上続いている。
しかし、第二次世界大戦時再びドイツとソ連によって分割され、大戦後は独立するもソ連の影響が大きいままであった。
君主はロシア皇帝であり、反対するとシベリアに送られ重労働を科せられる。このシベリア孤児をポーランドに帰国できるよう
支援したのが日本である。1989年に円卓会議を経て平和裏に体制転換を達成し、旧ソ連圏で初めての非社会主義政権が誕生した。
民主化を達成してから初めての大統領、Walesa大統領は「ポーランドを第2の日本に」と演説の中で話し、
特に日本の高度経済成長をお手本にするなど、ポーランドは伝統的な親日国である。現在ポーランドはEUの中で重要な国だ。
人口はEU内で6番目の国で、経済は著しく発展している。ポーランドはポルトガル語で「Polska」で、「平原」という意味を
持っている。主な産業は広い平原を活かした農業である。
A文化について
日本とポーランドの共通点は多い。例えば国旗の色、面積、憲法記念日だ。ただし日本で憲法記念日は憲法が施行された
日だが、ポーランドの憲法記念日は初めて憲法ができたお祝いの日である。
ポーランドの魅力はたくさんあるが歴史のある街並みも魅力の1つである。ワルシャワの旧市街やクラクフ、ヴロツワフなど
数多くの建物が世界遺産に登録されている。日本と同様にはっきりとした四季があり、秋は葉のほとんどが黄色く紅葉するため、
黄金の秋と呼ばれ、観光のベストシーズンだ。
Bウクライナ難民とポーランド
ロシアのウクライナ侵攻を受けて、ポーランドには400万人以上の難民が押し寄せている。難民の受け入れセンターを設置し、
手続きの簡素化するなど政府としての対応の他に、ポーランド国民個人としても支援を行っている人が多い。難民キャンプを
設置せず、難民を一般家庭で受け入れているのである。そのため、首都ワルシャワの人口は17%増加した。
ウクライナ人にマイナンバーを配布し、ポーランド人と同様の公共サービスを受けられるようにしたり、
ポーランド語教室を開催したり、国民と政府が一体となってウクライナ難民を支援している。
質問
Q1.日本とポーランドの関係について、明石元二郎という人がいたのではないか?
→ポーランドではあまり知られていない
日露戦争時、「ポーランドの武装蜂起を支援し、武器購入のための資金を提供するなどして独立を助けた。 」
Q2.日本に来たウクライナ難民は何人?
→1300人
Q3.ポーランドのユダヤ人について
→中世に西ヨーロッパから嫌がらせを受けて逃げてきた人たち
戦後もポーランドに残っている人は少ない
Q4.「ポーランドを第2の日本に」という発言について
→Walesa大統領は日本が好きで、日本のような経済大国にしたいという思いから
日露戦争に日本が勝利し、日本への関心が高まった
Q5.留学のきっかけ
→中学生の時ハイキングで日本人観光客の1人と仲良くなり、大学生まで文通していた
送ってもらったはがきや本などから日本に興味を持つようになり日本学科を選び、留学した
Q6.ドイツやロシアに対する見方
→ドイツ:第一次世界大戦時支配を受けていたが、ドイツ政府は公式にポーランド人に謝罪を行うなど、
1970年代から和解の努力を進めている。現在は両国ともEU・NATOの加盟国であるため、同じ価値観を共有し違和感は
少なくなっている。
ロシア:先の見通しができずに一番警戒している国。ジョージア侵攻後、次はウクライナ→バルト3国→ポーランドの順に
侵攻すると言われていた。ロシアの隣国として仲良くしようとする政治家はいるが、どのような政策を行えばよいのか
わからないのが現状。
Q7.エネルギーの供給源は? →ロシアへの依存度を低くするために20年前から輸入先の多様化を行っていた。
年末にはロシアからの輸入をゼロにすることができる。
Q8.ロシアと接する町
→国境沿いの住人はビザなしで行き来できる
60キロ以上離れている人はできない
【参考資料】
・「外務省 わかる!国際情勢」https://www.mofa.go.jp/mofaj/press/pr/wakaru/topics/vol22/index.html
(最終閲覧日:2022年6月23日)
・「JAPAN Forward 【正論】日本とポーランド知られざる絆」https://japan-forward.com/japanese/31846/
(最終閲覧日:2022年6月23日)

4.(AM)
先日、ポーランド大使館からシュミットさんに来て頂き、ポーランドの歴史・文化や魅力など大きく分けて5つの事を紹介、
説明してくださった。以下、詳しく述べていく。
・歴史
・ポーランドの歴史
ポーランドの面積は312,679?(日本から四国を引いたほどの大きさ)であり、ヨーロッパでは、6番目に大きく、
南方地域は山地であるがその他の地域は平らで、昔から農業が盛んである。また、ポーランドという国名はPolska(平原の国)
という言葉から由来している。首都のワルシャワは400年以上もの歴史がある。第二次世界大戦後は共産主義の国であったが、
その後1989年以降は民主主義へと転換した。ヨーロッパの中では面積も広く人口も多いため近年は経済成長が
期待されている。
・歴史人物
フェリクス・ヤシェンスキ
ヤシェンスキは、日本美術品の収集家であり、ポーランドの美術館で展示会を開くなどここから多くポーランド人が日本に
興味を持つようになった。
・福島安正
初めてポーランドに行った(ドイツでの調査を終え日本に帰国途中ポーランドに寄った)日本人であり、多くのポーランド人
と交流をした。
・ブロニスクフ・ピロスツキ
20世紀頃日本でアイヌ文化についての調査に携わり、しばらく北海道に滞在し、そのご日本人女性と結婚した。
子孫が現在横浜に住んでおり、ポーランド大使館の活動にも関わっている。
・杉原千畝
第二次世界大戦後、ポーランド難民が日本に避難出来る様に、タデウショ・ロメルと協力しVISA発行に協力し多くの難民の命
を救った。
・ユゼフ・ピウスツキ
ポーランド独立のために奮闘し日本にも訪れた。
・ワレッサ
ポーランドの民主化を実現し、90年にポーランド大統領に選出された。「ポーランドを第二の日本にしたい」とよく演説していた。
また、30年余りに及んだ共産支配から抜け出すため日本はポーランドを支援していた。更に、その後ノーベル平和賞を受賞。
また、日本が第一次大戦後シベリア孤児の支援をしたという事はポーランドに大きな影響を与えた。日本の赤十字軍が約800人
の子どもを処置、支援し、その後子どもたちは日本に滞在しアメリカへ移動、そして独立したポーランドへと戻った。
・日本とポーランドにおける関係
2018 ポーランド独立
2019 日本と公式な外交関係を結ぶ。
2002 天皇皇后両陛下がポーランド(ワルシャワ)へ訪問。
2019 秋篠宮殿下が6/29日から10日間ポーランドへ訪問。
2020 一月末、ポーランド首相15年ぶりに来日。現在、日本の投資を誘致しており約300社の企業がポーランドに進出。
A日本とポーランドの共通点
国旗の色、面積の大きさ、憲法記念日、ショパン、食文化(ピエロギとギョーザ)
Bポーランドの魅力
・歴史ある町
世界第二次世界大戦後完全に町は破壊されたがその後復元し、ユネスコ世界遺産に登録されている。
ワルシャワ
「北のパリ」と呼ばれるポニャトフスキ王の夏の離宮がある。
クラクフ
戦争による被害は何もなく、古い町並みが昔のまま残されており、ポーランドで最古のヤギュウオ大学もある。
グダニスク
有名な港街でレンガ造りの建物が多くあり、琥珀のアクセサリーが有名。
ヴロツクフ
12の島、112の橋があり、200以上の妖精の像があり観光で有名。
・自然
多くの山脈、湖、小規模な砂漠があり、またポーランドはバルト海770qの沿岸に位置し、とても自然豊かな国である。
また、国立公園もあり、多くの野生動物がおり、鳥に関しては270羽と多様な種類が生息している。
・多様な食文化
多くの民族が定住していたことから、多種多様な食べ物がある。国内では主にジャガイモやパンが主食で、多くの果物も
栽培されている。ウォッカは有名な酒の1つで、最近はビールも人気である。蜂蜜酒という歴史の長い酒もある。
・豊かな文化
夏になると野外ではライブ、展示会などイベントがたくさんある。また、コンサートホールでも同様。
・四季
日本と同様にはっきりとした四季があり、特に9月から11月にかけての秋シーズンは観光に適している。冬は寒さが厳しいが
近年は温暖化の影響で降雪が遅れている。
・人物
天文学者のニコラス・コぺルニクスやローマ教皇のヨハネ・パウロ二世(日本に100回以上訪問)
そして映画監督アンジェイ・ワイダなど
また、ポーランドの国民性として明るく、オープン、勤勉で日本人と似ておもてなし上手なところがある。親日家が多く、
日本祭りや茶室、博物館などがある。
Cウクライナとポーランド
二月末から400万人以上のウクライナ人の受け入れを開始し、これは第二次世界大戦後最大の難民受け入れ数となる。
この影響で三か月後には、ポーランドの人口が17%上がった。こんなにも多く受け入れているにも関わらずポーランド政府は
難民キャンプを設けていない。パスポートの確認なしで受け入れが可能で待ち時間が長くならないよう、手続きはとても簡単で
難民申請をするだけある。この申請を終えると教育・医療の面などから手厚い支援がなされる。ぺスという日本でいう
マイナンバーの様なものがあると、社会保障も受けられる。
D質問
Q1,明石元次郎という人物はポーランドで有名であるか
A,一般的に有名ではない
Q2,ウクライナから何人が日本に来たのか
A,1300人
Q3,ポーランドにいたユダヤ人は、元々はハザール人であったか
A,ハザール人であったのかは明確ではないが、スペインなどから嫌がらせを受けていたユダヤ人がポーランドに
避難してきていた。
Q4,ワレッサが「ポーランドを第二の日本にしたい」と発言していたが具体的な意味は
A,ワレッサ自身親日家であり、経済的に日本の様に発展させたいという意味合いが込められていた。
また、日本が日露戦争で勝利したことはポーランドにとって日本に興味を持つきっかけとなった。
Q5,シュミットさんが来日したきっかけは
A,幼少期から音楽が好きで家族とよくコンサートに来ていて、その時に多くの日本人を見かけて興味を持ち出した。
また、中学生の時、ハイキング中に日本人のグループと遭遇し、別れ際に住所を交換した事をきっかけに、
長く文通をしたりしていたこともきっかけの一つで、大学では日本に留学するため日本学科に入った。
Q6,ポーランドでの歴史教育について
A, 第二次世界大戦後、ロシアとドイツから支配を受けていたが、ドイツはEUやNATOに加盟し同じ価値観もあり、
公式にドイツ政府からの謝罪もあったため多くの人はドイツに対して悪い印象はない。しかし、ロシアとの関係は最悪である。
クリミア半島の件以前から信頼できておらず、隣国のため良好な関係を築いた方が良いという政治家もいるが、
ポーランドは今後ロシアとどう関わっていくか頭を悩ませている。
Q7,ロシアからの天然ガスの輸入がなくなったらどうなる
A,ロシア対ウクライナの出来事の前から、ポーランドはロシアに依存しない様、20年前から準備をしていた。
新しいパイプラインもつくっており、この件においてEUの中で一番ロシアに対する対策はできている。

5.(NN)
テーマ:ポーランドの歴史と文化、ウクライナの隣国としての今
ポーランドとはどんな国?
ヨーロッパ大陸の真ん中に位置し、国土の広さはヨーロッパで6 番目に大きい。西にリトアニア、ベラルーシ、
北にロシア、東にはドイツが位置する。ポーランドはポーランド語で平原の国という意味の「ポルスカ」と呼ばれる。
その名の通り、平原が多く、昔から農業が盛んに行われてきた。
ポーランド語は西スラブ言語に分類され、最も似ている言語にウクライナ語とスロバキア語が挙げられる。
ウクライナ語話者は3ヶ月ほどポーランドに滞在すれば、ポーランド語を使って仕事ができるようになるぐらい話す
ことができるようになるという。
1999年にNATOへの加盟、2004年にはEUへの加盟を果たした。EU屈指の経済成長率を誇り、今後も成長が
見込まれる、可能性が大きい国である。
2. ポーランドの魅力
・都市
ワルシャワ(Warsaw)
16世紀後半から現在に至るまで、ポーランドの首都とされている街。世界遺産にも登録されていて、かつて
「北のパリ」と呼ばれた美しさを誇る旧市街がある。第二次世界大戦で大きな被害を受けたが、わずか5年で再建
されたという。
クラクフ(Krakow)
ポーランドの南方に位置する街。ワルシャワが首都とされるまでは、こちらが首都であり、日本でいう京都のような街。
戦争の被害を受けなかったため、中世の街並みが今も残されている。1346年に設立されたヤギェウォ大学はポーランド
最古の大学であり、高い教育レベルを誇り、またたくさんの留学生がここで学んでいる。
グダンスク(Gdansk)
バルト海沿いに位置する街。14?16世紀にはハンザ同盟の一員として、栄華を極めた。グダンスク港にヴェステルプラット
という街がある。1939年、ナチスドイツがこの地に侵攻し、第二次世界大戦が始まった。
・自然
日本のように四季がはっきりしている。冬の寒さが厳しいため、春の訪れは感動的だそう。夏は近年、地球温暖化の影響
で暑さが増しており、最高気温が35 度を超える日もしばしば見られるが、湿気は少なく、過ごしやすい。
秋は1番素敵な季節とも言われており、紅葉がとても綺麗なため「黄金の秋」と呼ばれることも。旅行にもっとも適した
シーズンだそうだ。冬は夏と同じように、近年地球温暖化の影響で雪が減っており、クリスマスに雪が見られることは
滅多にないそうだ。1月末から2月にかけて1 年を通して寒さが最も厳しく、気温が-20 度まで下がることも。
南部に位置するタトラ山脈、250種以上の動物が生息するビェシュチャディ国立公園などが有名。
・文化
食事: 料理の種類が多く、食卓には魚、肉、温かいスープまたは冷たいスープ、と沢山のものが並ぶ。
主食はパンとじゃがいもで、じゃがいもは日本でいう米の代わりに食べられている。
コヴォンスキ、ビゴス、クルスキ、ジェルックといった料理が有名で、食後には必ずデザートを食べる。
民芸品: 切り絵やボレスワヴィエツ陶器が有名。
・人物
ニコラウス・コペルニクス(1473~1543) 地動説を唱えた天文学者
フレデリック・ショパン(1810~1849) ポーランド前期のロマン派音楽を大成した作曲家。ピアノ独奏曲を多く創り、
ピアノの詩人とも呼ばれる。
ヨハネ・パウロ二世(1920~2005)(在位:1978~2005) 「空飛ぶ教皇」と呼ばれほど、数多くの国を訪問し、その数
は100を超える。数多くの言語を話し、来日した際には、日本語で説教を行った。
アンジェイ・ワイダ(1926~2016) ポーランドを代表する映画監督。「地下?道」「灰とダイヤモンド」など数多く
の名作をのこした。毎年秋に東京で開催される「ポーランド映画祭」でも彼の作品は何度も上映されている。
2. ポーランドと日本
・ポーランドと日本を繋いだ人物たち
フェリクス・ヤシェンスキ 日本美術品収集家。彼のおかげで日本文化がポーランドで広まった。
福島安正 1880 年頃の明治政府の財務官。ドイツの軍隊の調査のために渡欧。ドイツからウラジオストクまて
1人で馬で渡ったとドイツ人貴族の日記に記されている。その際ポーランドにも訪れ、初めてポーランドを訪れた
日本人となった。
ブロニスワフ・ピウスツキ アイヌ文化の調査を行った、文化人類学者。彼が遺した資料はアイヌ文化の研究に
大きな貢献をもたらした。
杉原千畝 リトアニア領事館でポーランドを始めとするヨーロッパ各国での迫害から逃れてきたユダヤ人に、
日本を通過できるためのビザを発行したことて、6000もの命を救った。
タデウシュ・ロメル 初代駐日ポーランド大使。杉原と協力し、多くのユダヤ人をホロコーストから守った。
・2国間での出来事
日露戦争 古くからロシアからの侵攻を幾度となく受けてきたため、多くのポーランド人が日本の勝利を嬉しく
思った。これを機に日本への関心が高まった。日露戦争が起こる前に、当時の国家元首であったユゼフ・ピウスツキは
日本に軍事同盟の締結を日本に提案していたが、当時、ポーランドは国として存在していなかったため、
日本側はこれに取り合わなかった。
シベリア孤児への支援 第一次世界大戦後、多くのポーランド人の子供が孤児となり、シベリアに取り残された
が、日本赤十字軍の活動を通して、多くの子供たちが帰国することができた。
連帯運動への援助 第二次世界大戦終戦後からソ連の支配下にあり、社会主義政権が実権を握っていた中、食肉
の値上げが発表されたことがきっかけとなり、共産党の支配から抜け出そうとする「連帯」運動が起こった。
最終的に「連帯」運動の代表者ワレサが共産党勢力に圧勝したのだが、この背景には日本からの援助があったという。
ワレサは演説で「ポーランドを第2 の日本にしたい(=日本の戦後のような経済成長を遂げたい)」と訴えていたそうだ。
2019年には、国交樹立100周年を迎えた。
3. ウクライナの隣国としての今
2 月24 日に起こったロシアによるウクライナへの侵攻が行われてから現在までにポーランドには400万人以上
のウクライナ人が押し寄せた。侵攻からたった3 ヶ月が経った時点で、ワルシャワの人口は以前と?べて+17%
と大幅に増加している。侵攻後、 ポーランドはウクライナに対してすぐに国境を開き、受け入れセンターを作り、
パスポート無しでも入国が出来るように入国手続きを簡素化した。また、公共交通機関を無償化し、教育や
医療を提供し、無料のポーランド語教室の設置も行った。このような寛大な対応を取っているのは政府だけでは
ない。一般的に難民の一時的な滞在先として設置される難民キャンプはないというよりその必要がないほど、
一般市民が各家庭でウクライナから逃れてきた人々を受け入れている。国境近くにある受け入れセンターまで
ポーランド人が自身の車で向かい、そこにいるウクライナ人を家へ連れて帰ることが多く行われているそうだ。
実際、シュミットさんの友人にもウクライナ人を自宅に迎え入れたという人が多いという。ポーランド人の多くが
ウクライナ人に対して良心的であることを改めて理解した。その背景には長い歴史の中で培われた、
ロシアへの警戒心・不信感・恐怖心がある。
ポーランドは昔からロシア、オーストリア、プロイセンといった大国に囲まれており、それらの国の影響で
幾たびか独立を喪失した、悲しい歴史を持つ。ドイツからもロシアと同じくらいの支配を受けてきたが、ドイツとは
現在は友好的な関係を築いている。第二次世界大戦が終わるまで、長きに渡って支配を受けてきたが、70年代から双方
が歩み寄る努力をし、同じEUやNATOの加盟国として同じような価値観を共有しているという実感があるということに
よるものが大きい。対して、ロシアに対しては全く見通しが立たない。これは最近に始まった話ではなく、
クリミア侵攻以前からポーランドでは、ロシアを信頼出来ないとする見方が一般的だった。
20年以上前から、ロシアへの化石燃料の輸入依存を無くそうと輸入先を増やしたり、他のエネルギー資源の使用に切り替えたり
と準備を重ねた結果、早ければ2022 年末にはロシア産のエネルギー資源から完全に独立できる見通しがあることが、
古くからポーランドはロシアを警戒してきたことを証明していると言えよう。
これは周辺諸国と比べても圧倒的で、EUの中でも1 番よく準備がされてきたと言えるだろう。
これがただの“用心”で済めば良かったのだが、残念なことに、ロシアがウクライナへ侵攻したことにより、これは
“正しい決断”となってしまった。ポーランドではロシアから攻撃を受けるのではないかと警戒する声がウクライナ
侵攻以前からずっと上がっていたそうだが、その恐怖がより一層深まっていることは言うまでもない。バルト海
沿岸のロシア領に核兵器が置かれているのではないかと疑う声もある。もしそれが本当であった場合、ポーランド、
特にワルシャワは候補地である可能性が高いとの見方を示していた。今は積極的にポーランドは多くのウクライナから逃れて
くる人々を受け入れているが、実はこの二国間にもかつては大きな対立、紛争があった。
それにも関わらず、どこの国よりも積極的に祖国を追われたウクライナの人々を受け入れようとするポーランドの姿勢は、
本当に高く評価されるべきだと思う。
参考文献:「物語 ポーランドの歴史 東欧の「大国」の苦難と再生」渡辺克義著 中公新書 2017年発行
「中学生から知りたいウクライナのこと」小山哲、藤原辰史著 ミシマ社 2022年発行

6.(KS)
ポーランド・フォーラム議事録
〇ポーランドについて
 ・Pol(平原)→91%が低地、農業の国
 ・ポーランド語が公用語、ウクライナ語と近い
  →ウクライナ難民の方々はポーランド語を習得しやすく、3か月もたてば働ける
〇ポーランドと日本
 ・フェリクス・ヤシェンスキ
  日本美術品収集家、日本文化をポーランドに伝えた
 ・福島安正
  ポーランドをはじめて訪れた日本人
 ・ブロニスワフ・ピウスツキ
  アイヌ文化調査を行った
 ・杉原千畝
  ポーランドのユダヤ人6千人の命を救う
 ・タデウシュ・ロメル
  初代駐日ポーランド大使
2002年天皇皇后両陛下がポーランドを訪れる
2019年国交関係樹立100周年
2020年シベリア孤児支援 100周年
   コルベ神父日本到着 90周年
1月21日〜22日 オリンピックの際に首相が15年ぶりに来日。
・共通点
国旗の色、餃子=ピエロギ、5/3憲法記念日、面積がほぼ同じ
〇ポーランドの特徴
@歴史ある街
・ワルシャワ:第二次世界大戦後、5年で作り直された
・クラクフ:中世のままの街並み、ヤギェウォ大学(1364年〜)
・グダニスク:ポーランド随一の港町(ハンザ同盟の都市)
・ヴロツワフ
A自然豊か
B多彩な食文化
・シャルロトカ(リンゴのケーキ)、はちみつ酒(ポーランドとリトアニア)など
C豊かな文化
・民族衣装(地域ごとに異なる)、民芸品
D四季
E人
・ノーベル賞受賞者7人(キュリー夫人含む)、コペルニクス、ショパン、ヨハネ・パウロ二世
→親日家が多い
〇ウクライナでの戦争を巡る課題
 ・受け入れセンターの設置
 ・入国手続き簡素化
 ・ワルシャワの人口17%増
(自家用車で難民を乗せて自分の家に送るなど)個人個人の支援が多く、一般家庭での受け入れが
ほとんどなので、難民キャンプが一切ない。一時的に使えるマイナンバーを配布し、ポーランド人と
同等に近い補助を受けられるようになっている。
公共交通機関などの無料化、教育や医療の提供
駐日ポーランド大使館では…
 ・チャリティーコンサートの実施
 ・難民支援
ウクライナ人とのイベント開催
→支援金、寄付金の必要性
〇質疑応答
Q1.ポーランドの独立支援をした明石元二郎を知っていますか?
A1.ポーランドではあまり知られていません。日本とポーランド関係に詳しい人は知っているかもしれません。
Q2.日本へのウクライナ難民は何人くらいですか?
A2.1300人
Q3.ポーランドのユダヤ人はハザール人ですか?
A3.ポーランドにいるユダヤ人は中世からいました。西ヨーロッパやロシアから移住したユダヤ人が多いです。
人種についてはよくわからない。
Q4.ポーランドを第二の日本にしたいとはどういうことですか?
A4.ワルサ大統領がよく使っていた言葉です。日本が好きで、経済的にも日本のように発展させたいという意図があります。
Q5.日本に留学しようと思ったきっかけはなんですか?
A5.ポーランドにくる日本人観光客が優しそうで興味を持ちました。ハイキングで日本人の団体と出会い、
そのうちの一人と話し、連絡先を交換しました。その後、手紙のやり取りをするなかで、送ってきてくれる絵葉書や本が
きれいだったので日本にさらに興味を持つことになりました。日本語をもっと勉強したいと考え、留学を決めました。
Q6.ポーランドの歴史教育はどのようですか?
A6.歴史的に侵攻された事実はあるが、ドイツとロシアへの考え方は異なっています。ドイツに対する違和感は
それほどありませんが、ロシアとの関係は最悪です。
クリミア併合前からロシアとの関係はよくなく、見通しがつかない国として警戒しています。
ロシア人への印象はあまりよくないです。ロシアに対してどのような政策をとるべきか頭を悩ませています。
Q7.ロシアから天然ガスなどのエネルギー源供給がとめられた場合、どうまかないますか?
A7.ポーランドは20年前からロシアへの依存度を下げるように努めてきました。輸入先の多様化を進めていたので、
ほかの国と比べてそこまでの影響はありません。年末には完全にストップできると思います。
Q8.国境を接しているロシアはどのような存在ですか?
A8.国境沿い60キロメートル以内の人たちは両国を自由に行き来できます。それより遠いとビザが必要です。
ポーランド人からしたらロシアはずっと怖い存在です。ウクライナ侵攻前からその危険性は感じていました。

7.(IH)
ポーランドは多くの国と国境を接している国であるため、
"狭間の国"として数々の苦難の歴史を経験してきた。
一方で美しい文化も形成され、今では自然や豊かな平原からなる食物など
色鮮やかな文化で有名である。ウクライナとも国境を広く接しており、行き来が容易い。
それに加えて、言語もお互いに親しみやすい。
現在のロシアによるウクライナ侵攻を受けて、ポーランドはウクライナからの
避難民を約400万人受け入れている。特異なのは難民キャンプなどを設けず、
一般市民レベルで避難民の受け入れを積極的に行っているのだ。
同じく大国に挟まられた国同士、親身に、助け合うということなのだろうか。


(了)

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