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◎地中海マルタ共和国フォーラム・レポート

●「地中海マルタ共和国フォーラム」レポート
ー禁無断転載ー

10月30日、アンドレ・スピテリ駐日マルタ大使をゲストにマルタ・フォーラム開催

◎10月30日(土)「地中海マルタ共和国フォーラム」レポ―ト
(於:東京ウィメンズプラザ+UNカフェ)
10月30日、アンドレ・スピテリッ駐日マルタ大使をゲストに
”知らない国を知る”
「Amia地中海マルタ共和国フォーラム」開催。
10月30日、地中海「Amiaマルタ共和国フォーラム」開催
昨年9月に開設された駐日マルタ共和国大使館の
アンドレ・スピテリ駐日大使が来場、紹介動画と
マルタの概要を話した。
動画では「アーナ」という日本で例えれば平安雅楽のような
響きをもつ横笛とギターの曲の披露、また別の動画では
第二次大戦時のドイツに空爆された経緯や、
1862年日本の遣欧使節団がマルタ来訪、それ以来の
日本との行き来が映像に。
マルタは英国領だった歴史もあり、戦前まではドイツ
が敵だったが、現在はEUに加盟しユーロが通貨。
友好国である。ほか質疑応答が盛んにあった。
大使が持参した本を3択の正解答者数名にプレゼント。
セミナーのあとは親睦会開催。
参加者の半分はマルタ滞在経験者なので懇親も
盛り上がっていた。

「学生スタッフ・レポート」
マルタ共和国フォーラム議事録
内容
@アンドレ・スピテリさんとペリー典子さん(通訳)の紹介
Aアンドレさんによる挨拶
Bマルタ共和国の説明
Cドキュメンタリー鑑賞
Dアンドレさんによるレクチャー 日本とマルタの関係
Eマルタ共和国大使 アンドレスピテリさんについて
Fアンドレさんの”My message”
G質疑応答

●マルタ共和国の説明
・マルタの大きさは日本の淡路島の約半分ほどの大きさで、人口約50万人。
マルタ語と英語を公用語として持つ。三つの主要な島から構成されている。
・首都のバレッタは、ユネスコの世界遺産にも登録されており、東京都エリアの半分くらいの大きさ。
・冬でも平均気温は14℃と、日本と比べると温暖な気候(東京の冬の平均気温は5-10℃)。
・地中海の真ん中に位置しているため、古くからさまざまな国の文明形成に影響を与え、与えられてきた。
・マルタと日本の関係は1965年から本格的に築かれ始めた。この頃日本は高度経済成長期だった。
・マルタに初めて入国したのは福沢諭吉で、彼はマルタ使節団の通訳係として同行した。
・マルタから日本へは、もう少し早い時期の1896年に、ボンベイからロジャージュリアスが訪れていた。
彼は英語を教える先生として来ており、有名な教え子に安倍元首相の祖父岸信介がいる。

●ドキュメンタリー鑑賞 アーナソリ
・アーナとは、マルタ音楽独特の音。昔から余暇や家事をする際、女性によって歌われていた。
・渡会美帆氏によってアレンジされたマキエッタでは、ギター・フルート・パーカッション等が用いられる。
(鉄琴、ピッコロ)
・ナソリとはつまり雅楽であり、二つの相反するもの(陽陰、太陽と月、左右、光と闇)をイメージしている。
・マルタの音楽形成に貢献したのが、首都バレッタ。16世紀にマルタ騎士団が作った。音楽の録音が流行し、
当時レコードが大変人気だった。第二次世界大戦中も、バレッタは音で溢れた。海兵さんのためのジャズやキャバレー
が日常的に聴こえた。戦争によって、建物はほとんど破壊されてしまい、オペラハウスも一部は破壊されている。
・アーナ タルファット(マルタの伝統音楽)、フルートとグロッケンが歌い手の代わりになっている
・アーナとナソリの融合は、人間の文化の交わりを意味している。
・AIは音楽を作れるか、この問いに対してニュートラルネットワーク(人間の脳のプログラム)
をAIに打ち込む実験が行われた。
・モデルが音楽を作れるか検証したところ、実際にマルタのアーナ・日本のナソリを融合させた音楽をAIが作り出した。
・AIの創造性は、人間の未来を願う気持ちとリンクする!
・ヴェルダーネ宮殿では、イグナリアという農業のお祭りがあり、アーナはもちろんうさぎ料理などを楽しむ。

・音楽を鑑賞した感想
伸びる笛の音と、軽く弾むグロッケンのリズムがバランス良く曲全体を構成している。
柔らかく聞こえるギターの音も心地よい。打楽器は、主旋律を邪魔しないが存在感があり、曲にアクセントを加えている。
演奏が行われる場所は静かで、風がそよめいている。周りは自然で、開けており、おそらく標高が少し高いところ
にいるのではないだろうか。楽器が羽を伸ばして音を奏でられるような場所。

●アンドレさんによるレクチャー 日本とマルタの関係
・初めて日本人がマルタへ行った、そのきっかけは、幕府が英仏との交渉を試みたことである。
使節団に、福沢諭吉が通訳として参加した。幕府の「鎧」の贈り物に、マルタは喜んだと言われる。
・第一次世界大戦の際にもマルタへ派遣されたが、その目的は日本海軍による英仏船保護だった。
今でもマルタには、彼らの慰霊碑が残されている。
・日本人が、マルタへ感謝の気持ちで魚をたくさん買ったが、逆にそのせいでマルタ国内の魚の物価が
上昇してしまったという面白いエピソードもある。
・1917-1919まで日英協商が組まれており、1921年ごろは終戦後で平和であった。その頃昭和天皇がマルタを訪れた。
カジノマウンテーゼという、有名なカジノ場で食事を取られたことがわかっており、最近そのメニューが明らかになったらしい。
・同店には、昭和天皇が残した赤い花瓶が飾られている。今は無くなってしまったが、桜の木を植えたとされている。
・1964年、東京オリンピックがあった年にマルタは独立した。その翌年1965年から、日本とマルタの政治的な関わりが始まった。
当時は、JICAを中心に、経済的に力のないマルタの支援を日本が行った。
・2018年ムスカット氏が来日された。
・これまで、マルタの首相は3回来日しているが、日本の首相は安倍晋三元首相しか訪れていない。
また、マルタには日本大使館があるが、日本にはマルタ大使館がなく、小さなオフィスで働かれている。
アンドレさんは、一日も早くマルタ大使館が設置されることを望んでいる。
・最近国交50周年記念もあり、友好関係は深まっている。
・経済関係では、TOYOTA自動車のヨーロッパで初めて送られたり、DAIKINの海外初店舗が置かれたりと、
意外なところで接点がある。
・大阪万博でも、マルタのお偉いさんたちは新幹線を楽しんだようだ。
・日本はマルタに対し、積極的にマグロの輸出をおこなっており、マルタ側からしても日本は主要なマグロ輸入国である。
シンクロナイズドスイミングの北京オリンピックメダリスト、はらださほさんは、マグロと泳いだ写真を公開している。

●マルタ大使・アンドレスピテリさん
・アンドレさんは2014年に大使に就任された。当時は在マルタとして働かれていた。
マルタにいながらの仕事は大変だったそうだ。そんな中、日本の剣道の関係者と会ったり、
伊勢の小学校に訪れて給食を楽しんだりした。また、マルタ代表としては初めて、広島を訪れた。
・立命館大の時代は、京都の金閣寺の裏山に滞在されていた。
・日本食レストラン「禅」でのアルバイト経験もあるそうだ。神輿に参加するなど、日本文化との関わりも深い。
・趣味でキックボクシングを習っていたなど、豊かな経験をお持ちの方である。

●アンドレさんの”My message”
・留学especially in different culture
・石の上にも三年 never give up
・学ぶ always be a student?
・改善 keep improving yourself
・the new things and experiences

●質疑応答
・どうして日本に留学されたのでしょうか
→理由は特にないが、留学先を決める際に担当の方がお薦めしてくれた。
・日本人の移住者はいますか
→200名ほどいる。
・マルタではどのような医療体制なのでしょうか
→国の病院は税金で全て賄われるが、混んでいるため私立病院に行く人もいる。
・マルタの外国人移住者はどれくらいですか
→最近増えており、現在は住民の5分の1が外国人。
・現在のコロナ事情はどうですか
→1日15人ほどと感染者数はそれほど多くないが、ワクチン接種が高額で普及していない状態。
モデルナとファイザーの他にアストラゼネカとジョンソンエンドジョンソンも使用されているが、
日本ではまだ認証されていないため注意が必要。QRコードのワクチン接種証明書を用意すれば問題ない。
国民柄で、マスクはきちんとしているイメージ。
・1965年のJICAのサポート内容はどのようなものだったのでしょうか
→橋建設のための教育システムを導入した。
・ドイツとの関係は
→第一次世界大戦時は敵対していたが、第二次世界大戦に突入する頃にはマルタでも飛行機が
製造できるようになっていたため、関係を持っていた。
・マルタでのワーキングホリデーは可能ですか
→現在は日本側が承認しておらず不可能。国交などの事情により、出入国は対等である事が求められる。
ちなみに、日本語学習者にはルパンやワンピースなどのアニメが大変人気。
おすすめの街はやはり首都バレッタ。
(了)

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